その時わたしは東京でコーヒーセミナー
主人は 閖上
東京に住んでた下の子も帰郷して
娘たちは泉区の自宅
娘たちは泉区の自宅
東京は震度6,5 けっこう揺れた
中川さんは焙煎中の焙煎機を緊急停止し
みんなでおさまるのを待った
外に出てみると 隣の保育園では
子供たちは園庭に避難して
まあるく輪になっていた
ワンセグを見ていた人が
宮城の名取が大変なんだって
と 教えてくれたけど
えっ 名取?
地理に疎いわたしは
閖上と名取と結びつかなくて
ふーん と うわの空
そのうちに 仙台から来ていたHさんが
携帯で家族に連絡を取りだしたら
ただ事ではないような雰囲気を出して来て
ぼんやりしてたわたしも
携帯を使ってみると
ぜんぜん 連絡が取れない
なんだか大変な事態が起こっているんだと
やっと わかる
そのうちに 公衆電話からだと繋がりやすいと教えられ
いろいろ電話してみたら
実家だけやっとつながった
荒浜でたくさんの人が亡くなったらしい
という 情報が入ったので
ダメかもしれないと涙ながらにいうと
なーに 大丈夫だがらー
と いつものように明るく言ってくれて
だいぶ 心が落ち着いた
東京の娘のアパートに帰ってニュースを見ると
閖上を上空からヘリで撮った映像
職場にとめてあったうちの人の車が流されていく
あぁ
あの中にいないことをずっと祈りながら待つ
Hさんのご主人が迎えに来てくれ
お二人の運転で
4号線をとおって 13時間かけて帰ってくる
ふと気付くと
朝日の中を見慣れた風景が続く
朝日の中を見慣れた風景が続く
やっと 家の前
玄関から主人が
裏の車から娘たちが
家族4人 やっと出会えた
主人は職場の屋上に上がり一命を取り留めた
一晩泊まって
タクシーに分乗して帰ってきたという
娘たちは 寝袋を持って車へ
トイレが使えないので
庭に 穴を掘って準備していたという
家の中は惨状
当分手をつけられない気分
全体の被害が次第に分かりだした
気持ちが落ち込む
両方の母親が心配なのでそちらを優先に
食料などを調達して持っていく
以外に元気なのは
二人とも 戦争を経験したからなのか
ライフラインが止まって
それから始まったサバイバルは
それから始まったサバイバルは
キャンプが好きだったわたしたちには
そんなに 苦労ではなかったが
多くの人が 大変な思いで暮らしていた
命が助かった
そのことを忘れずに
これからを大切に生きる
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