ワンランク上のホッと一息つける空間

2016年3月11日金曜日

あれから5年・・ 東日本大震災


その時わたしは東京でコーヒーセミナー

主人は 閖上

東京に住んでた下の子も帰郷して

娘たちは泉区の自宅


東京は震度6,5 けっこう揺れた

中川さんは焙煎中の焙煎機を緊急停止し

みんなでおさまるのを待った


外に出てみると 隣の保育園では

子供たちは園庭に避難して

まあるく輪になっていた


ワンセグを見ていた人が

宮城の名取が大変なんだって

と 教えてくれたけど

えっ  名取?


地理に疎いわたしは

閖上と名取と結びつかなくて

ふーん と うわの空


そのうちに 仙台から来ていたHさんが

携帯で家族に連絡を取りだしたら

ただ事ではないような雰囲気を出して来て

ぼんやりしてたわたしも

携帯を使ってみると

ぜんぜん 連絡が取れない

なんだか大変な事態が起こっているんだと

やっと わかる


そのうちに 公衆電話からだと繋がりやすいと教えられ

いろいろ電話してみたら

実家だけやっとつながった

荒浜でたくさんの人が亡くなったらしい

という 情報が入ったので

ダメかもしれないと涙ながらにいうと

なーに 大丈夫だがらー

と いつものように明るく言ってくれて

だいぶ 心が落ち着いた


東京の娘のアパートに帰ってニュースを見ると

閖上を上空からヘリで撮った映像

職場にとめてあったうちの人の車が流されていく


あぁ


あの中にいないことをずっと祈りながら待つ


Hさんのご主人が迎えに来てくれ

お二人の運転で

4号線をとおって 13時間かけて帰ってくる

ふと気付くと

朝日の中を見慣れた風景が続く

やっと 家の前


玄関から主人が


裏の車から娘たちが


家族4人 やっと出会えた


主人は職場の屋上に上がり一命を取り留めた

一晩泊まって

タクシーに分乗して帰ってきたという


娘たちは 寝袋を持って車へ

トイレが使えないので

庭に 穴を掘って準備していたという


家の中は惨状

当分手をつけられない気分


全体の被害が次第に分かりだした

気持ちが落ち込む

両方の母親が心配なのでそちらを優先に

食料などを調達して持っていく

以外に元気なのは

二人とも 戦争を経験したからなのか


ライフラインが止まって

それから始まったサバイバルは

キャンプが好きだったわたしたちには

そんなに 苦労ではなかったが

多くの人が 大変な思いで暮らしていた


命が助かった


そのことを忘れずに

これからを大切に生きる



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